其の一 切 坪

 それは、遠い遠い宇宙の、現代の我が国とも光源氏の君のおられた我が国ともよく似た所でのお話でございます。
 なんという帝(みかど:天皇)のときでしたか、内裏(だいり)と呼ばれる帝が日常住んでいらっしゃる御殿の中には多くのお妃(きさき)たちがいて、
「私が一番みかどちゃんに愛されるのよ」と互いに帝の愛をめぐって競争していらっしゃいました。
 貴族の間では、男性は複数の妻を持つのが普通で、とくに帝には多くのお妃がおいでになっていたからでした。
 帝のお妃は身分によって呼び名が違っていて、皇室のお生まれや大臣の家柄から選ばれた者は女御(にょうご)と呼ばれ、それより下の身分からの出身のお妃は更衣(こうい)と呼ばれていました。
 そして、こうしたお妃たちの中から帝のたった一人の正妻である中宮(ちゅうぐう:皇后)が選ばれるのでした。
 この時代は帝と姻戚関係を持つことが出世の一番の条件となっていましたので、有力者たちはこぞって自分の娘を帝のお気に召す器量と才覚を持ち合わせた姫君に育て上げ、将来帝の妃となることを熱望していました。
 さて、古い時代は広い内裏の敷地の中にそれぞれの妃たちが自分の小さな一戸建てワンルームの家を設けていたのですが、土地の高騰した現代では、有力な妃たちを除いてはマンションの中にそれぞれ部屋を持つようになっていました。
 こうしたマンション住まいのお妃の中に、誰よりも帝から寵愛されていた幸せな姫君が住んでいました。
 そのマンションは、この不景気の中、帝が土地を切りつめて建てたので、切坪(きりつぼ)マンションと言われていました。
 その姫君は帝のお妃の中でも家柄の低い更衣の身分であったので、いつしかこの姫君は切坪の更衣と呼ばれるようになっていました。

 切坪の更衣の父親は、かつては大納言をお勤めになられていた御方でした。
 勧善懲悪もののお話がお好きだったのが転じて、自らも銀色のマスクをかぶり背中のところにファスナーがついている銀色のつなぎのスーツに身をくるんで悪人に立ち向かっていたことから、人は皆この大納言を親しみを込めて、「ウルトラマン・ダイナごん」と呼んでいました。
 しかしある時、悪人と戦っていたダイナごんはまんまと相手の罠にかかって小さな小屋に閉じ込められてしまい、バトルタイム3分以内という制限時間内に脱出することができず、エネルギー枯渇で亡くなってしまわれたのでした。
 切坪の更衣は、元々他の妃たちに比べて身分が低く、身分の高い妃やプライドの高い妃たちからはこぞって、
「あんた、後から来て何偉そうにしとうとね!」とか、あるいは、
「あんた、身分が低いっちゃろうが!あっちに行きっ!」などと憎まれ、妬まれていたのに、今度は唯一頼りとしていた父君にも先立たれて、お妃たちの更衣に対する風当たりはますます強くなっていくばかりでした。
 そして、それはついには、切坪の更衣へのいじめ問題へと発展していったのでした。
 意地の悪いお妃たちは、更衣の住む部屋の玄関に汚物をまきちらし、衣装が汚れて臭くなって帝のところへ行けないよう仕向けたり、マンションのエレベーターの電源を切って更衣を閉じ込めたりと、それはそれはひどい仕打ちをしました。
 また、帝が切坪マンションをお訪ねになるには、帝のお住まいになる清涼殿(せいりょうでん)から打橋(うちはし:建物と建物との間に仮にかけ渡した板の橋)で通じているそれぞれのお妃の一戸建てのお住まいを通っていかねばならないのですが、その途中の打橋をわざと壊して、“工事中”という看板を立て掛けて、帝が更衣を御訪問なさるのを妨害なさるのでした。
 帝は更衣が入内(じゅだい:帝の妃として内裏に参入すること)したてのまだお元気ではつらつとしておられた頃には、
「そのつややかで、ちょっぴりふくよかな健康的なところが色っぽく艶やかで素晴らしい!」
と誉め称えておられたのですが、更衣が他のお妃たちにいじめられ、精神的に追いつめられて面やつれなさると、今度は、
「その哀愁のただようかよわそうな細面(ほそおもて)が男にはたまらんばい!」
と身勝手のように仰せになられます。
 しかし、そのお気持ちに偽りなく、帝は姫君をますますいとおしくお思いになり、かえって愛を深めておられたのでした。

 そのうち、更衣は皇子を産みました。
 玉のように美しい皇子でした。
 帝はたいそうその子をかわいがり、また、更衣に対しても一層の愛をお与えになるのでした。
 帝は更衣の行く所行く所、いつも後ろからくっつき付きまとわれて、決してお離しにはなりませんでした。
 ところが、気のやさしい切坪の更衣は帝に愛されれば愛されるほど、かえってつらい気持ちばかりが募っていくのでした。
 そして、その気苦労がたたってだんだんと病弱におなりになり、皇子が3歳におなりになる時にとうとう重い病気にかかって亡くなってしまわれました。
 帝はあまりの悲しさで、激しく涙にむせばれました。

 さて、切坪の皇子はその後すくすくと成長し、6歳で小学校という所に入学なさいました。
 習ったことはたちまち覚え、算数や歴史がお得意で、外国語にもすぐに打ち解けて、音楽にも精通なさっておいでです。
 しかし、若干むらがある御性格からか、国語や物理、そして図画工作にかけては、他人(ひと)より目立って劣っていらっしゃいました。
 体育ではなぜかフォークダンスがお好きで、思春期の男の子たちが女の子を意識してなかなか手をつなごうとしない中、一人積極的に手をつないで張り切って踊るので、女の子たちからも人気がありました。
 ただしばしば左足から先に歩くところを右足から歩き出したり、右回りのところを反対周りして女の子とぶつかったりしていたので、一緒に踊っている女の子から「ちゃんと覚えてね」とやさしくたしなめられる一面もありました。
 こうしてできる男なのかそうでないのかわからない中途半端な御性質がかえって庶民的な人気を得、さらに真面目にこつこつと勉強を続けられて今では他に並ぶ者もほとんど見当たらなくなってしまったので、人々からは尊敬されるようになるまでに御立派になられました。
 帝はその後もますます成長を続ける皇子を御覧になって、ある時、ちょうど隣りの国から来訪していた視察団の中に大変優れた観相家がいるとお聞きになっておられましたので、この観相家に皇子の人相を見てもらうことにしました。
 すると、この観相家は皇子の人相を見るなり驚きまくって、
「おおっ!何ちゅうこっちゃ!」と叫びました。
 「どうしたのだ?」
と帝が詰め寄っておっしゃると、この観相家は大変興奮した様子でまくし立てました。
 「このお子さんは帝になるべき最高の人相をしています。しかし、帝になられますと、人並み外れた発想がかえって災いして国が乱れると出ています。それなら世の政治を助ける立場になるといたしますと、これがまたふさわしくない。不思議な人相をしていらっしゃいます」
 それをお聞きになって、帝は考えあぐねた末、皇子を将来の帝の補佐役にしようと、元は帝の子ということで皇族であったのを、凸氏(とつし)という姓号を与えて臣下(しんか:皇族に対してそれ以外の臣民のこと)とし、まず出先機関に配属することになさいました。
 それから世間の人たちは、玉のように美しいこの皇子のことを昔の光源氏(ひかるげんじ)になぞらえて、玉凸氏(たまのとつし)と呼びました。
 しかし、堅い呼称は流行らない世の中なので、人々はそのうちこの皇子を、「とっしーの君」と呼ぶようになりました。

 とっしーの君は、20歳(はたち)で成人しました。
 昔、源氏の君は12歳で元服し、奥さんまで手配してもらっていたのですが、現代では10代で元服をしなかった者は法律とやらで20歳で自然に成人に認定され、奥さんも自分で見つけなくてはなりません。
 帝は早くにとっしーの君を元服させたいお考えでしたが、とっしーの君自身が出世コースはお望みでなく、10代のうちにしっかり勉学に励みたいとたっての御希望がございましたので、これからは実力の世の中になると常々お考えになっておられた帝はそれもよいだろうということでとっしーの君のお望みどおりになさいました。

 帝を始めとして多くの貴族が住んでいらっしゃる都は、博多と呼ばれる長方形の人工島の中にありました。
 博多の都は、北に玄界灘を臨み、東西を御笠川、那珂川に挟まれ、さらに南側には博多キャナルと呼ばれる運河がひた走る、四方を水面で囲まれたさながら水上要塞都市の様相を呈していました。
 都の中央には南北に大博大路(だいはくおおじ)と呼ばれる大きな官道が走り、その北側に突き当たった海に面した所に通称“パレス”と呼ばれている帝のお住まいのある内裏がありました。
 内裏のすぐ南側に面した所には、何棟ものお役所や高級役人たちの官舎が立ち並び、大内裏(だいだいり)を形成していました。
 さらに大内裏の南側の人工島の中央部から南側にかけては碁盤の目のように縦横に道が張りめぐらされていて、その間に役人たちのお屋敷や博多商人たちの住まい、神社やお寺といった宗教施設が立ち並んでいました。
 とっしーの君は本来ならば、この人工島の都にお住まいになってもおかしくはありませんでしたが、最初に出先に配属された関係上、博多の地から少し離れた田舎に住み、そこにアパートを建ててその一室に居を構えました。

 その頃、帝はどうしても忘れられない切坪の更衣によく似た女性が富士ツゥという会社にいるというので、その女性を呼び寄せ新しい妻としていました。
 とっしーの君も自分の母親にくりそつのその女御のことを、「富士通母の女御」(ふじつぼのにょうご)と呼んで慕っていました。
 ある時、帝は成人してもすぐに結婚しようとしないとっしーの君に対して、
「おまえはどういう女子(おなご)と結婚したいのか」とお尋ねになりました。
 これに対し、とっしーの君は即座に、
「この人がいい」と御簾(みす:高貴な人を普通の人とを隔てたすだれ)の中にいらっしゃる富士通母の女御の方を指さして真顔でお答えになりました。
 帝はそんなあほなと高笑いしながら、
「ハハハハ。冗談きついね。ない、ない」と右手を横にお振りになってその場を御退出なさいました。
 
 とっしーの君はその夜、アパートにお戻りになられてお休みなる前にふと富士通母の女御のことを思い出されて、
「富士通母の女御のような人と結婚して、2人で一戸建ての家で暮らせたらいいな」と夢見ておられるのでした。
 そう思うと、富士通母の女御のことがますますいとおしくなっていくのでした。
 なぜそんなふうに思ってしまうのか、10代を勉学一筋に真面目にお過ごしになられたとっしーの君は自分で自分の気持ちがよくわかりませんでした。
 それが初恋だとは気付かないまだまだ青いとっしーの君なのでした。



| | コメント (0)

其の八十五 女三の宮(十三)

 「一体あなたたちどうなってんのよ」 
 柏木が宴会の席で倒れて医者のもとに運ばれた混乱が一段落した夜、朱雀院(すざくいん)は愛娘の女三の宮の部屋にとっしーの君と女三の宮をお呼びつけになりました。
 「噂はかねてから聞いていましたが、私は実際に目にするまでは信じていませんでしたよ。しかし、こんなにひどい関係になっていたとは。子どもが生まれて今が一番幸せいっぱいであるはずのこの時期に何でこんなことになってしまうのか、私には理解できませんよ!」
 朱雀院は最初は落ち着いた口調でお話になっておられましたが、段々と怒りが込み上げてきたのか説教する声がヒートアップしてきて、女三の宮は説教を受けながらも持病の血圧が上がらないか心配でならないくらいでした。
 「一体何があったのですか!」
 女三の宮はうつむいたまま長い髪の毛でお顔をお隠しになりました。
 とっしーの君はしばし沈黙しておられましたが、やがてゆっくりとした口調で話し始めました。
 「何にもありませんよ。別に喧嘩をしたわけでもありませんしね」
 「だったら何でお互いそんなそっけない態度を取るのよ。聞いた話だと、ほとんど会話がないって言うじゃない」
 朱雀院の声は興奮のあまり声が裏返っていらっしゃるのでした。
 朱雀院が静かに女三の宮の方に目を向けると、三の宮はさらにうなだれてしまわれました。
 二人が押し黙ったままなので、朱雀院はたまらず、
「普通、いくら仲の悪い夫婦でも、『めし』『ふろ』『しんぶん』くらいは言うよ!」とおっしゃったので、物陰からこの様子を見ていた三の宮の女房たちは思わず吹き出しそうになりました。
 「本当に私たちは言い争ったことはないのですよ。ただ・・・」
 「ただ、何なのよ」
 「・・・・・・」
 とっしーの君は女三の宮の方にちらっと一瞥を投げかけた後、それ以上の言葉が出てきませんでした。
 「何があったのかは知りませんけど、私はあなたならこの三の宮をきちんと世話をしてくださるだろうと思って、安心してロック錠院に送り出したのですよ。だのに、その私が信じてきたことをあなたは裏切っているのですよ!確かに、あなたにとって三の宮は年も離れてまだまだ子どものように思えるかもしれない。甘やかしすぎて、わがままに育ったために、いろいろと迷惑を掛けることもあったと思う。三の宮の不徳な振る舞いが今回の原因かもしれないが、それにしてもだ、こんなにやつれるほど冷たくあしらわないでもいいだろうに!」
 朱雀院がお話しを終える前から、女三の宮のすすり泣く声が聞こえてきました。
 その声にもらい泣きして、朱雀院も溢れ出す涙で目頭を抑えられました。
 とっしーの君は眉間に皺を寄せて、厳しい表情のまま微動だにしませんでした。
 しばし、凍りついたような時間が流れました。
 やがて、うなだれていた女三の宮が長い髪の毛を振り払って頭を起こしました。
 その目は真っ赤に泣きはらしていましたが、何かを決意したかのように鋭い目つきを朱雀院に向けて、こう懇願なさったのでした。
 「お父様、ご心配をお掛けして本当に申し訳ありません。今回の件は、私に落ち度があったことが原因ですので、どうかとっしーの君をお責めにならないでください。そして、理由は決してお聞きにならないで。私はその度に胸が痛む思いをしているのですから。お父様、私はもう生き長らえないような気がしています。食事も喉が通らずもどしてばかりで、もう長いこと病で苦しんでおります。どうかお父様、お願いがございます。私は出家して尼になりとうございます」
 「え!なんだって!」
 朱雀院ととっしーの君は異口同音に叫びました。
 それまでぼぉーっとして三の宮の話を聞いていたとっしーの君も、出家という言葉に一遍に正気に戻られたのでした。
 朱雀院は落ち着きを取り戻して、諭すように愛娘に向かってこうおっしゃいました。
 「三の宮。お前さんはまだ若い。一度出家するともう元には戻れないのだよ。お前には生まれたばかりのこの子を育てる責務もある」
 「だけど、お父様・・・」
 三の宮は朱雀院の言葉を遮るように、すがるような目つきで、
「私にはもう長く生きれる体力も気力もございません。私は今日のこの時がお父様と今生の別れとなるのではないかと思うと胸がつまってたまらないのです。どうか、この私を一緒に連れて行ってください」
と言って、泣く泣くお頼み申し上げるのでした。
 朱雀院は三の宮の“今生の別れ”という言葉が頭に残って、またまた涙が溢れ出ていらっしゃいました。
 「そうねぇ・・・・・」
 朱雀院が考え込んでしまわれたので、今まで黙っておられたとっしーの君がたまらず、
「な・・・何ば言いようとですか!三の宮はまだ20歳(はたち)をちょっと越したばかりの年齢なんですよ!」とおっしゃって、続けて三の宮の方に向き直って、
「三の宮、一体何を言い出すのです。そんなに私のことがお嫌いなんですか。出家って、そんなに簡単なことではないのですよ。人はこの世でいろんなつらいことも苦しいことも経験し、人生の山越え谷越えを経て悟りの境地を築いていくものです。この世の人生も大切な修行なんですよ。そうしてある程度の悟りを開いて初めて、出家して仏に遣える身となるための真の悟りを得るための修行に励むことができるのです。あなたがそんなに気弱になられているのは無理もありませんが、今あなたをむしばんでいる病は気の病です。お互い契りを結んだ仲なのですから、どんなに難しい問題でも賢い男女なら多少時間がかかっても乗り越えていけるはずです。こんな年老いた私を置いてあなたは出家して行ってしまうのですか」
 とっしーの君はまさかこんなピンチに立たされると思っていなかったので、急遽必死になって三の宮の説得に当たっておられるのでした。
 しかし、女三の宮の態度はとてもつれないものでした。
 「今さら何よ」と言わんばかりの軽蔑のまなざしを一瞬とっしーの君に向けただけで、そっぽを向いてしまわれました。
 とっしーの君は、「やばいなぁ。この問題で三の宮を追い詰めすぎてしまったなぁ」と反省しつつ、
「女が悲嘆に暮れて悩み抜いた後、意を決して以前の気持ちを断ち切ってしまうと、決して後戻りすることはないんだよなぁ」と今までの豊富な女性経験からとっさにそう思われるのでした。
 朱雀院はじっと目を閉じて考え入っていらっしゃいましたが、やがて目蓋を開いて男女の諍い(いさかい)を調停する裁判官のように事の判決を下されたのでした。
 「よしっ、わかった。こういうことにしよう。三の宮は出家させる。本当は私と一緒に山に籠もって一緒に仏門に励むことが私にとっても心強いし、どんなに安心かと思う。三の宮もできればここから離れたいと思っているだろう。しかし、三の宮はまだ若いし、生まれたばかりのこの子のこともある。そなたは尼となってここに残りなさい」
 「えーっ!!」
 とっしーの君が、はいっ!と手を挙げて物言いをつけて立ち上がろうとしたその瞬間、朱雀院がすくっと立ち上がってするするするっと女三の宮のところまで近寄ると、いきなり懐から黒いはさみを取り出して、刃先を天井の方に向けられたのでした。
 「な・・・何でそんな物を持ち歩いてるんですかっ!!」
 とっしーの君が叫んだのも束の間、院は三の宮の長くしなやかに前垂れした黒髪を手にとって、あっという間にバッサリ一切れ、髪を切り落としてしまったのでした。
 「あ~あ、なんてことを・・・!!」
 あまりの衝撃に震えが止まらないとっしーの君に向かって、恨みをはらしたかのように朱雀院は不敵な笑みをたたえながら、
「もう元には戻れんよ」
とクールに言い放たれました。そして、
「明日、著名な剃髪師を呼んで、きれいな尼姿にしてもらいなさい」
 そう言って、自ら切り落とした前髪の一部を拾い上げて、何度も撫でながら、涙を流しておられるのでした。

 翌日の朝・・・
 「指名したいんだけど・・・」
 姫宮の希望に沿って、今都の女性たちに絶大な人気を誇るイケメンのカリスマ剃髪師がロック錠院に呼ばれました。
 カリスマ剃髪師は姫宮のしなやかで美しい黒髪を手にとって、思わず、「本当によろしいのですか」と朱雀院の方を振り向いて聞き返しました。
 朱雀院はうっすらと涙を浮かべながら、静かに一度首を縦に振られたのでした。
 承諾を得た若い剃髪師は、早速手際よく髪を手で梳かしながら、
「どのくらい切られますか?」
と尋ねたので、三の宮はすかさず、「ちょっと長めにお願いします」と答えました。
 とっしーの君は、普通は尼姿というものは肩の辺りまでで前髪を切る物だと思っていましたが、今風は長さまでリクエストできるものなのかと変に感心なさっておられました。
 そんなところに、三の宮がさらに、
「ほんの少しレイヤー入れて、自然な栗色にカラーリングしてくれると嬉しいんだけど」
とオプションを追加注文なさったので、これにはとっしーの君も姫は出家を何と心得ているのかとその心構えをいぶかってしまうのでした。
 昨晩、朱雀院に一部分を切られていびつになった前髪も、剃髪師が丁寧に手際よくカットを入れて、お若い容姿も手伝って、最後にはこれは本当に尼姿なのかと思えるような髪形になりました。
 尼姿というよりかは、従来の尼の短めの前髪よりか幾分長めにアレンジした新しいヘア・スタイルのようで、面やつれなさった容貌に不思議とマッチして、別人かと思われるようなまた新しな姫宮の魅力が加わった
 そんな新たな魅力を持った姫君とも、たびたびお会いしてお話しすることはできても、もうそれ以上は近づくことが許されない関係になってしまうのかと思うと、今が盛りのお若い年齢なだけに惜しいと思われるのでした。
 しかし、不思議ととっしーの君は悲しいという感情が沸き上がってこないのでした。
 とっしーの君は、尼になった三の宮の姿をご覧になりながら、
「本当は三の宮を引き受けることにならなければ、とっくに私が出家をしようと思っていた。だのに、その三の宮に尼に先立たれる運命になるとは」と運命のいたずらを感慨深げに痛感しておられるのでした。
 朱雀院は長い髪の毛をショートカットされた姫宮を思わず抱きしめて、涙に泣きぬれました。
 しかし、しばらくして朱雀院は三の宮の両肩に手を置いて見つめながら、
「これからちゃんと修行に励むのだよ。私も修行の身なので、すぐに山に戻らなければならない。他に寄るところもあるので、時間がないのでこれで失礼するよ。また会いにくるから、それまでしっかりとな」
とおっしゃって、そそくさと帰り支度をしてロック錠院を後にされたのでした。

 翌日、とっしーの君は、その後紫の上のいらっしゃる東の対で、ひじを突いてぼぉっと外を眺めておられました。
 あまりの急な展開に何がなんだかわからずに呆然となさっておいででしたが、次第に寂しさがふつふつと心の中で沸き上がっていました。
 「確かに女三の宮とは元々朱雀院から後々の世話役として頼まれたのがきっかけで結ばれたので、三の宮は他の女と違って恋愛の感情は薄かったと思う。だから、こうなってしまった時も、それほどのショックも受けなかったし、かえってほっとしたというのが正直な気持ちだった。しかし、三の宮には年が離れて若い分、他の女(ひと)にはないいろんな可能性があった。これから自分が若い三の宮に自分の生きてきた長い経験をお話しして、それで三の宮がどう魅力的な女性として変わっていくのかも興味があったし、また、反対に今風の新しいやり方を自分に吹き込んで、この年だが自分も一緒に成長したいと思っていた。ノックアウトは食らわなかったが、三の宮を手放してしまった寂しさは、今になってボディブローのように私に言いようもない寂しさを与え始めている。柏木との密会は許せるものではないが、私も以前富士通母の宮と同じような行為に及んだことをすっかり忘れてしまっていた。そのしっぺ返しだと思えば、あそこまで追い詰めることはなかった。近くにお出でになっても、尼になられてしまっては、もうあの美しい若い柔肌に触れることもできないとは何と惜しいことをしてしまったのだろう」
 とっしーの君は自ら取り返しのつかないことをしてしまったとすっかり肩をお落として落ち込んでおられるのでした。
 何でも御相談できる間柄の紫の上にも、女三の宮に対するこういう思いの丈は、さすがにお話しすることができません。
 こうして一人悶々とこの悲しみと悔しさに打ちひしがれておられましたが、そうしているうちにとっしーの君の頭にある一人の女性の姿が思い浮かびました。
 「こんな時に心から心を癒してくれる女性はあの人しかいない」
 そう思い立って、とっしーの君はその日の午後に、ふらふらと外にお出かけになられたのでした。
 その頭の中に思い描いた女性とは、そぼろ好きよの姫君でした。
 「そう言えば、女三の宮がお輿入れをして、紫の上と女三の宮との狭間で疲れ切ったあの時も、救いを求めるようにそぼろ好きよを訪ねたものだった・・・」
 とっしーの君は、そう思うと自然と足を早めているのでした。
 そうして、ようやくそぼろ好きよのお屋敷の前にたどり着くと、早速ピンポーンと呼び鈴を鳴らしました。
 「・・・・・・」
 「変だな。さては、またインターホンのカメラで監視して、出てこないんだな」
ととっしーの君は勘繰っておられましたが、やがて「おっ、これは何だ?」と玄関の扉に貼り紙がしてあるのにお気付きになりました。
 「な・・・何じゃ、これはっ!」
 見ると、その貼り紙には次のように書かれてありました。
 
 
  昨日を持ちまして、閉宅いたしました。
  長らくのご愛顧、まことにありがとうございました。
 
 
 「昨日を持ちましてって、明日になったら自動的におとといになるんかい!」
ととっしーの君はぶつぶつ言いながらも、
「閉宅やら聞いたことないな。というと、彼女は家を出たんかい。一体、どういうことだ?!」
と訳がわからずに、これはただごとじゃないとばかりに、その貼り紙のしてあった引き戸を開けました。
 戸は鍵も掛かっていなかったので、造作無く開けることができました。
 中は人気のない様子で真っ暗だったので、とっしーの君は裏に回って、庭の方から屋敷へと入りました。
 こちらの庭に面した扉も施錠されていなかったので、造作無く中に入ることができました。
 中に立ち入ると、やはり人のいる気配はなく、物音一つしません。
 とっしーの君は気が狂ったように、辺りを見回して姫君をお探しになりましたが、全くのもぬけの殻の状態で、とても姫君がおられるとは思えない状況でした。
 とっしーの君が途方に暮れて、下に目をやった時、部屋の中に小さな文机が置かれていて、その上に硯と並んで、半紙の上に筆で何やら走り書きが書いてあるのにとっしーの君はお気付きになりました。
 「あっ!!」
 とっしーの君はそこに書かれていた文をお読みになって、思わず大声で叫びました。
 そこには、次のような文章が書かれていたのでした。
 
 
 このたび、私は出家することにいたしました。
 決して私をお探しにならないでください。
 先程、突然朱雀院がお見えになって、突然持っていた黒いはさみで前髪をちょん切られました。
 何をするんですか!と抗議したところ、つい今しがた、女三の宮が尼になったお姿をご覧になられて、私のことを思い出されたということでした。
 朱雀院は昔の思いを遂げられなかった私への思いを切々とお話になり、この世では思うに任せぬ運命だったが、せめてあの世では一緒になりたい。
 出家して、共に御仏の御前で修行に励もうと、出家をお勧めになりました。
 私もかねてから、出家については考えてきましたので、ようやく私も決心がつきました。
 これからは、命の果てるまで院に寄り添って、修行に励みたいと存じます。
 どうか、私の心の内をご理解ください。
 
 
 「朱雀院にしてやられたっ!」
 とっしーの君は悔しさのあまり、顔を手で覆いました。
 思えば朱雀院のもとに嫁ぐことが内定していた姫君をとっしーの君がかどわかしてしまったことで、傷物扱いされたそぼろ好きよの姫君は朱雀院と結ばれることができなかったのでした。
 そして、添い遂げられなかった夢を、朱雀院は今、夢を踏みにじった相手に仇を返す形で果たそうとなさったのでした。
 
 それから数日間、都のあちこちで若い女性が一人のお坊さんに次々と刃物で前髪をちょん切られるという奇妙な事件が続発しました。
 邪空(じゃくう)と名乗るその老人は、切り裂き邪空と恐れられましたが、話によるとその老僧は、女の前髪をちょん切る際に、
「出家をすれば救われる。さぁ、みんなで出家をしまっしょい!みんなで出家をすれば、修行も楽し」
と言って、出家を布教して回っていたということでした。
 そうしてマインドコントロールされた女性が次々と出家をされたので、都はちょっとした出家ブームになりました。
 しかし、前髪をちょん切られた女性がいきなり家族の前で出家を宣言するので、慌てた家族の者とのトラブルが続発し、都には急遽出家110番なる相談窓口が開設されたということでした。

| | コメント (0)

«其の八十四 女三の宮(十二)