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2012年2月 5日 (日)

百夜通いの謎を探る旅(3)~少将の通い道

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 さて、深草少将が実在したことと、欣浄寺がその深草少将の別邸であった可能性が高まったところで、通小町(かよいこまち)伝説が本当であるとするならば、次に深草少将邸から小野小町邸まで現実的に通えるものなのかということを検証しなければなりません。
 そこで、当時からあったであろうと思われる道を推測して、そのルート沿いに実際に歩いてみることにしました。

 深草少将と小野小町が戯れたと言われる欣浄寺のお庭の向こうには、かつて深草少将が小野小町のもとへと通っていたであろう竹藪の道が続いていたと住職さんからお聞きしました。
 そして、これは私の勝手な推測ですが、その竹藪の道を進むと京の都の方から真っ直ぐに伸びた一本の大きな道に出たのではないかと想像しています。
 その道が、現在京阪電鉄の線路の脇を通る沿線の道です。
 この道沿いには古くからある小さな神社やお寺がいっぱいありますし、ずーっと京の方に上っていくと、伏見稲荷や東福寺の前に出ます。
 なので、この道が当時の南北の幹線になっていたのは恐らく間違いありません。
 その道をずーっと北へ歩いて1㎞もしないうちに高速道路の高架橋と交わります。
 京都聖母学院高校と接する所ですが、そこを右折します。
 自分は最初誤って行き過ぎてしまってこの聖母学院高校の正門の所まで行ってしまいましたが、ほんとこの高校の玄関はメルヘンチックで萌え萌えでした
 そんな萌え萌え高校の脇を通ってしばらく行くと、深草少将と小野小町がお仕えした仁明天皇の塚が見えてきます。120108_113425
 
 この道沿いには、こうした天皇陵や醍醐天皇の母の塚や、小さなお寺も点在し、行き着く先には当時影響力を持っていたであろう勧修寺(かじゅうじ)がありましたので、この道も当時からあった谷間(たにあい)の道だと想像できます。
 この一本道を高速道路の高架沿いにぐんぐん歩いていきました。
 少将さんになった気持ちで、足を早めていきます。120108_120511

 小野小町の住む随心院までは一山越えるイメージがありますが、この山間(やまあい)の道を進めば、それほどの高低差はなく歩いて行けます。
 高速道路が脇を通っているので、当時の雰囲気が台無しですが、今でもこの道沿いはコンビニも店も人通りもほとんどなく、自分もこの辺で行き倒れたら今の世であっても誰にも気付かれず凍死してしまうのではないかと思いました。
 この日は多少気温が低く雪もちらついていましたが、本格的な寒波が襲ってきた日には確かに一気に雪が降り積もってもおかしくない所だと感じました。
 山間の道がもっと続くのかと思ったら、あっさり勧修寺の辺りに出ました。
 その向こうはもう、かつての小野の里です。
 今でもその面影が残っているような大変のどかな所でした。
 そして、勧修寺の脇の道を真っ直ぐ歩いて行きます。
 後は平地なのでアップダウンはありません。
 そして・・・
 ゴーーール!!!
 小野小町の住む、随心院にたどり着きました。
 
120108_12_33_07_2
 
 深草少将の通い道は、いかにも古くからの道らしく、真っ直ぐな道で、角を曲がったのも2,3回くらいで大変わかりやすかったです。
 距離にして5㎞弱。
 寄り道しなければ、時間にして1時間ちょっとで行けるのではないかと思います。
 ただし、深草少将は同じ道をたどって家に帰らなきゃならないんですよねぇ。
 今日も小町に会えなかったと肩を落としながら、寒い夜道をまた戻っていくのです。
 そう考えると、確かに大変ではあるなあとは思いますよねぇ。
 けれど、実際歩いてみて、全然通えない距離ではありませんでした。
 山を昇り降りする感覚もほとんどありませんでした。
 ですが、一度(ひとたび)雪が降り積もれば命の危険にさらされる、まさにあの百夜通いの話を彷彿とさせる道でした。

 さ、いよいよ、通小町伝説が現実味を帯びてきましたよ。

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